萌えの勉強のためにラノベ買って読もうとか決意して本屋へ。
・・・・・・帰ってきたら、こんな感じに・・・・・・。
他者と死者〜ラカンによるレヴィナス〜内田樹著
いや、もう超萌えだって!!
ウッチー先生最高じゃんっ!!
とか言いながら半分読んだ。
内田先生の本にはだいたい張良と黄石公の話が登場します、能楽だと「張良」って話ですね。
さわりだけ書くと、
張良という昔の中国の武人が兵法の奥義を学ぼうと黄石公老人に猛アタックするんだけど、アゴで使われるだけ。
そのうち、履いている靴を落として、
「おい小僧、その靴を拾って履かせろ」
と屈辱の限りを味合わされます。
そして数日経ったある日、黄石公老人は両方の靴を落とします。
その両方の靴を拾って履かせたところで、張良は兵法の奥義を会得するというお話。
最初読んだ時はもうすごい意味不明だったし、能楽の張良の話ともちげーし「コイツ何言ってんの?」状態だったのですが・・・・・・。
何回か読んだ後、「教える」と「学ぶ」ってこういうことなのか・・・・・・と、自分の見識の甘さと幼稚さで土下座したい気分になりました。
本当にもう、おっしゃる通りでございます・・・・・・もう一度小学校からやり直したい気持ちで一杯になるよね。
って、これだけで終わると自分も頭のオカシイ人になってしまうので、自分的な補足。
要は、学校とか何でもいいんだけど、教わってる内容(国語とか算数とか)自体はまったく意味無いよって事。
だから、靴を落とすという行動自体にはまったく意味が無いのです、でもこのお話のスゴい所は張良はたったそれだけで奥義を会得する、という所。
*本当はどうでもいい事を2回続けると、相手は疑心暗鬼になるからソコを突けって意味かも知れないけどね、奥義って、でも今はそんな事どうでもいい。
師というのは自分を否定してくれる貴重な存在で、それによって自分の経験とかプライドとかの薄っぺらい物を破壊してリセットをかけてくれます。
社会人になると全然怒られないじゃん?
だから、もう自分が間違えまくってるんだけど、絶賛放置されて取り返しのつかない50代とか見てると「あーわなりたくない」、だけど自分もいずれ進む道かも知れないじゃん。
そんな時のために、この話をタイムカプセルに入れて庭に埋めておくべきだっ!!
だから、なんて言うんだろ、文章で説明出来たらこのお話自体要らないわけで、もう閃きとかバッドで頭殴られた感じって言うか・・・・・・うん、全然要約出来てないね。
気づけるか、気づけないか、多分ソコなんだよね。
挫折って、本当大事。
人間は失敗からしか学べないよね。