ものすっごーく久しぶりに日記です。
いや、小説4巻の本文があんまり進まなくて、とにかく何か書くのってどうしたらいいんだっけと、カン取り戻すために書いてます。
なので頭使わずに文章この文章書いております。
今日のテーマは表題通り、もう世の中、お金以外の価値観で動いてるよねって感じで。
若い人と話してるとすっごい感じるのと、もちろん自分もそうなんだけど、努力が報われた試しってあんまりないんじゃないかなーと。
正確に言うと、努力しないと落ちていく一方なんだけど、努力した労力=出世……に繋がるかというと、絶対にそんなことはないと、みんな肌で感じてるんだろーなーということ。
これは頑張った分だけご褒美が貰えるという、現代の社会基盤が根底から崩れている危機的なことです。
お金というものを発明した人類は、とにかく何かやったヤツに褒美を与えるシステムを考え出しました。
それが、貨幣というものです。
何をやるかは限定せずに、何かを頑張ること、そういう原動力みたいなものを、私達の祖先は大切にしたのです。
もしもこれを魚を捕ってきたヤツには肉を一切れ、肉を取ってきたヤツには魚をなんてやってたら……、私達は永遠に物々交換し続けていたでしょう。
モノではなく、がんばりを評価する。そのために、私達はお金を作り出した。
でもそれが、今はどうでしょうか?
アルゼンチンでは自国通貨を中央銀行が買い支えられなくなり、それに端を発して新興国の通過が次々と暴落していっています。
これはきっと中国のバブル崩壊を誘発し、めぐりめぐって私達の見る深夜アニメのスポンサーを激減させることに繋がるのです。
お金というモノがあやふやになっているのです。
こうなってしまっては、お金というモノに報酬を求めた場合、どんなに頑張ったって報われません。
どうせ努力したって、目に見えてわかる形で、報酬というものが返ってくるわけじゃない。
そういう一種の諦めみたいなものが、ぐつぐつと煮えたぎっていて、各世代の共有認識のように固定化されていく。
こうなってしまうと、お金は価値をなくします。
人は、もっと別な形での報酬を望むようになります。
で……何が言いたかったのかというと、お金でなくパンチラとかで報酬を貰った方が、人間よりよく動けるよねってことです。
円なんて捨ててしまって、国の通貨をパンチラに変えてしまえばいいのですよ!!
みんなきっと頑張るって、パンチラなら。
すぐに飽きて、絶対働かなくなるだろうけど……。